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心に残る映画50選【桐島、部活やめるってよ】〜一生懸命になれない貴方へ〜

youtu.be

桐島、部活やめるってよの目次

I. こんな人におすすめ

一生懸命になれない人。

II. 監督

吉田大八

 

主演:神木隆之介

III. あらすじ

filmarks.com

ありふれた時間が校舎に流れる「金曜日」の放課後。1つだけ昨日までと違ったのは、学校内の誰もが認める“スター”桐島の退部のニュースが校内を駆け巡ったこと…。

IV. 鑑賞後の気持ち

桐島、部活やめるってよ

題名の物珍しさやその桐島が出てこない形式などがあって広く知られているこの作品であるが、 そんな側面だけでないティーンムービーとしてのあまりの素晴らしさを、公開10周年記念再上映があったこのタイミングで残しておきたいと思う。

 

今作はある高校のバレー部キャプテン、桐島が突然部活をやめるという噂が校内に広まるところから物語が始まる。 その噂の真偽を確かめるべく奔走する親友の宏樹(東出昌大)や恋人の梨沙(山本美月)などのカースト上位のマジョリティ層といつも通りの日常を過ごしている映画部の涼也(神木隆之介)などのカースト下位のマイノリティ層、また、桐島の補欠だった風助(仲野太賀)、宏樹に恋する吹奏楽部の亜矢(大後寿々花)、梨沙と同じグループにいながら涼也と幼馴染だったかすみ(橋本愛)らが、桐島が部活をやめるという小さな且つ彼ら彼女らにとって大きな事件が起こることによって、螺旋状に関係性が広がって絡み合っていく一週間を描いた作品だ。

 

最も印象的だったのは、物語を通して漂う閉塞感である。 この映画は高校生の物語といえども学校外でのシーンが極端に少なく、そのほとんどが学校内で撮影されている。 「今週末の練習試合」、「部長としての責任感」、「ポケットに入ったままの進路希望届」、、。彼ら彼女らが抱える悩みや不安が存在するのは学校の中という小さな世界で、それは即ち彼ら彼女らにとっては世界の全てとイコールである。 ちなみに原作の小説にあって映画版でカットされた実果(清水くるみ(かすみの友達))の章は唯一学校の外(実果の家族の話)の物語であり、この学校=世界という空間は意識的に作られたものだろう。 数少ない学校外での撮影は塾、ミスド、イオンの映画館という凄まじい地方都市感。(実際に原作小説の舞台は岐阜県で、映画版は全編高知県でロケが行われている。) 寒色の画面に映し出される冬の地方都市は、悶々とした高校生の閉塞感をそのまま表すかのようで、きっと上京すれば地方出身の田舎者として扱われるのであろう井の中の蛙達を嫌いにはなれずにむしろ愛おしくすら見えてくる。

 

今作が他の青春映画と大きく違う点において、立脚点が一つではないことである。ある種閉鎖された学校という世界の中で、若者ならば誰もが感じるであろう将来に対する悩みや不安。 他の生徒から羨望の眼差しで見られるようなカースト上位の宏樹も将来に不安を感じているし、映画の話が楽しくて仕方が無い涼也や武文(前野智也)は他の生徒から蔑んで見られるようなカースト下位に沈んでいる。 このティーンムービーでも将来への悩みや不安は間違いなく大きなテーマになっていて、先述した同じ高校の中でも様々な立場にある登場人物の、悩みや不安、それに伴う痛みを特定の人物に肩入れしたり贔屓することなく映し出している。(そもそも今作の原作である小説版では、宏樹、風助、亜矢、涼也、実果の五人がそれぞれ一人称で語られるオムニバス形式の小説であった。) 人の数だけある現代の(10年前の作品だがあえて現代と呼ぶ)学校生活や若者達のリアリティに繋がっていて、誰もが「この人を知っている」という感覚にさせるのだ。

 

 宏樹「結局、出来る奴はなんでも出来るし、出来ないやつはなんにも出来ないってだけの話だろ」

 

「出来る側」でありながら出来ない自分を恐れる宏樹の感情を揺るがすのは、他でも無い「出来ない側」でありながら「映画監督は無理」と言って映画を撮り続ける涼也や「ドラフトが終わるまでは」といつまでも野球部から離れられないキャプテンだ。 積み上げてきたものを一気に崩していくような屋上のラストシーンでの涼也と宏樹の会合。そして涼也のフィルムカメラに映された宏樹の表情は圧巻である。

 

 涼也「んー。それは、でも、時々ね、俺達が好きな映画と、今自分達が撮っている映画が、繋がっているんだなって思う時があって。本当にたまになんだよ、たまになんだけど。いや、それがこう、なんか、へへへ、逆光逆光」

 

出来る奴か出来ない奴か、カースト上位かカースト下位か、部活オンリーの童貞かセックスしまくりの帰宅部か。小さな世界で第三者からの評価軸を持たずに、自分だけの強さや美しさを知っている涼也やキャプテンを宏樹はどんな気持ちで見ていただろうか。最後野球部の練習を見下ろす宏樹の後ろ姿は、儚いようにも力強いようにも感じられ、どんな形であろうと悩み不安の中で生きる若者の美しさを感じた。 心の奥に蔓延った閉塞感をそれぞれ立場の違う生徒達が螺旋するように絡み合っていくことで、今の自分自身への葛藤を抱く彼ら彼女らは美しく、誰もが過去の自分を思ってこれは自分の為の物語だと感じることだろう。